百々雑記

感情についてつらつらと

雑日記まとめ

ズル休み

小中学生の頃、皆勤賞を取った記憶がある。だが、今となってはあまり美徳に感じられない。

高校生の時は、ストレスの蓄積がすごくなると、頭痛や耳鳴り、時には熱などが出ていた。今思えば心身がアラートを鳴らしていたのだと思う。熱で早退する時もあった気がするが、特に後ろめたさは感じていなかったし、むしろ安堵していた気がする。そういう意味でも、心が休みを求めていたのかもしれない。

ズル休みを推奨するわけではないが、心を休めるために学校を休む勇気が必要な場面はあったなぁ、と後から思った。

それからしばらく経ち、大学卒業後に、お世話になった教授と話す機会があった。その中で、「人によっては4年じゃ足りない子もいるよね。そういう意味では5〜6年かけて卒業するのがその子にとって適切な期間だったのかも」という話題が出たことがある。やや繊細な話題ではあるが、私はなるほどなぁと腹落ちするところもあった。

大学の取得単位と異なる進路を取ったこともあるが、当時の就活は相当苦しかった。

前述の高校時代のそれではないが、心は終始悲鳴をあげていて、かと言って足を止めることは許されない。心を誤魔化しながら、スーツを着てあちこちへ足を運んでいた記憶がある。その後、一人暮らしの際に大きく体調を崩すことがあったが、もしかしたらツケが来ていたのかもしれない。

じゃあ一年休学なりすればよかったのかだろうか、と思うこともあるが、奨学金のことや無駄に真面目な性格からして、きっとその可能性はなかったんだろう。

ただ、自分のメンタルが明らかに限界に近いと感じた時は、プライドを捨てて仮病なりで一度休むの選択肢は入れていいのかもしれない、と思うことはある。

現状、その選択肢に頼ったことはないし、そうならないようにほどほどにガス抜きするようにしている。

 

タオル地のブックカバー

 文庫サイズのブックカバーを持っている。無地のライトブルーで、デニム記事のような布カバーのタイプだ。中学の作文コンテストの参加賞だか何かで貰った気がするが、ずっと昔から持っている。

タオル地のようなざらついた生地が好きで、手触りがしっかりとした感触の方が心地よく感じる。そのせいか、結構文庫サイズを好んで買ったり、借りていたような気がする。

そういう意味では、本を読んでいる時、このブックカバーは結構助けになっていたのかもしれない。自分好みの手触りがあるというのは、本を読む抵抗感をある程度緩和していた。

読書のモチベーションにも、外付けの要素で後押しできる部分があるのだなと今になって気づき、ちょっと面白かった。

 

どこまでが偉いのか

「●●くんは自炊してて偉いね〜」と言われた。
確かに時間のある日は自分で料理をしているのだが、私から漏れた返事は「はあ、どうも」と煮え切らないものだった。
私が基本的に作っているものは大抵、①具材をカットする ②調味料と一緒に鍋かレンジに突っ込んで加熱する の2ステップな料理ばかりである。やってることはインスタントラーメンやパスタのそれと対して変わりないもので、「料理ができる人間」かと言われると、微妙なところだ。
簡単にでも料理をする動機も、コンビニ飯より安く済むからであり、洗い物をコンパクトに済ませたいからなので、ケチと怠惰が同居した結果だ。崇高な精神はない。

以前にも、乗りたい車種の話になった時に「できるならマニュアルがいいですね」と話したら、今の時代にマニュアル乗ろうとしたいなんて偉いね、みたいな反応をされたこともある。
そっちに関しても、単純にオートマよりマニュアルの方が燃費がいいからであり、やはりケチ精神が働いている。

好意的な反応をしてくれるのにうまく受け止められない私が悪いのかもしれないが、かといってケチな心構えを胸を張って主張する気にもなれない。どういう反応で返すべきか、未だに判りかねている。

 

履歴書を書くのが大嫌いだった

アナログの書類作業が苦手だ。

書き方の問題なのか、書き損じが多いタイプなため、履歴書を長々と記入していると、どこかで大抵書き損じる。ラジオを聴きながらだと手癖が変に出てミスりやすく、丁寧に書こうとすると、書き切るのに20分近くかかる。それでも少し気が抜けた時にポロッと間違える時もある。それが最後の数行だったときは本当にやってられなかった。

大学での就活時は、大学指定の履歴書なため、手持ちが無くなったら再度取りに行かないといけないのも、ため息を大きくしていた。

こんな単純作業に時間と神経すり減らすのは馬鹿馬鹿しい、やってられん、とフラストレーションが溜まった就活中期、何をとち狂ったのかトレス板を購入した。
アニメーションやイラストに活用される、板から光が出て、挟んである下絵の線が浮かび上がるアレを、履歴書のコピーに下書き→トレス台で文字を浮かばせて提出用の履歴書にペン入れ、という形に置き換えた。
たかが履歴書の記入ミスを減らすために約1万円の出費。だがそうでもしないと、ミスなくスムーズに書けなかった。

結果としてまあまあ感触は悪くなかった。書き直しの二度手間と工数はあまり変わらない気がするが、精神的安定感が段違いだったことが大きいだろう。

だが、履歴書が学校指定に拘る必要がなくなった大学卒業以降、トレス板は一気にお役御免となる。PCでwordに打ち込んで印刷すればよくなり、筆記要素が皆無になったからだ。

今度こそ書き損じの呪縛から脱出した、と思ったが、手書きで記入する日付の箇所すら書き損じたこともある。とことんアナログ作業に向いてないらしい。