百々雑記

感情についてつらつらと

コミュの怖さと後悔と

「ありがとう」を伝えられず終わる人生にしたくない、と強く思うようになった。


私は学生時代、人と正面から話すことに一種の恐怖心を抱いていた。

高校では友達が全然作れなかったし、大学一年の時は、人の前に立ってレポートを発表するだけで、手足が震える始末だった。

それは、中学時代に受けたハラスメントから来る傷跡なのか、単に友達が一人も居ない高校に放り出されて拗れた結果なのか、よくわからない。何にせよ、私はコミュニティの形成に乗り遅れ、休み時間は一人で本を読む学生生活を送っていた。


そんな中、高校の修学旅行で、友達と呼べる人が一人できた。

就寝部屋が同じだった、Tだ。

Tは東方projectの同人が好きで、偶然にも私が当時読んでいたサークルと一緒だった。

好きなジャンルが同じ、というのはあるけれど、読んでる同人誌自体もピッタリハマる人に出会うというのは奇跡で、互いに興奮したのを覚えている。

就寝時間、みんなが眠っている中、秘密を共有するような雰囲気も相まって一気に意気投合した。勢いでメアドも交換し(当時はLINEも無いガラケーだった)、この人となら仲良くなれる、という確信まであった。

 

けれど、Tとの関係はそこまでだった。

修学旅行が終わり、Tは元のコミュニティに戻る。

その輪に、私が混ざれる勇気が無かったのだ。

一気に距離を詰めた反動で、「もし拒絶されたらどうしよう」という恐怖心が一段と膨れ上がっていた。

休み時間、輪の中に居るTに話しかけようと席を立とうとして、足が動かなかった。次の休み時間も、その次も、足が言うことを聞いてくれなかった。ならばとメールを打とうとしても、送信ボタンが押せなかった。当時は恐怖心を自覚できてなかったしコントロールする術も知らなかったから、余計に苦しさを増幅させていたのだと思う。

結局、Tとは修学旅行以来、ろくに話すこと無く卒業した。

話したいことは沢山あったはずなのに、その機会は失われてしまった。

 

 


同じく、高校時代の私に声をかけてくれる人が居た。同じ学校に通っていた上のイトコだ。

彼女は小さい頃から、私によく話しかけてくれた。高校になっても、イヤホンを付け一人で帰る私に、手を振ってくれた。身内に隠キャが居るのを周知させる、下手をすれば自身にもリスクのある行為だと思うのだが、純粋に私を気遣ってくれたのだと思う。

けれど、ささやかな彼女の善意に、私は目を背けた。沢山の友達を連れている人気者の彼女に手を振り返すぼっちな年下のイトコ、という立場が、惨めでたまらなかったのだ。

それでも、彼女は私を見かける度に、声をかけ、手を振ってくれた。心の弱い私は、申し訳程度のリアクションもできなかった。

そんな彼女とも、とある転機を切っ掛けに、話す機会を失うことになる。

内容は割愛するが、彼女へ送った千羽鶴が届いていなかったら、現在も彼女の家族と話せるような関係になってなかったかもしれない。

 

 

 

なにが言いたいかと言えば、「関係がいつ終わるとも知れない世の中だから、伝えられるうちに気持ちは伝えないといけない」ということだ。

ある時、私が好きな作家が、YouTubeの配信で「ファンアート、マシュマロの文章は上手い下手とか関係ないですよ、書いてくれた気持ち自体が嬉しいですから」という旨のコメントをしたのを覚えている。

それ自体は月並みな言葉なのだが、彼の書いた作品では、仲間であり尊敬するクリエイターが筆を折り、何もしてあげられなかった主人公の無念と絶望を強く描いたシーンが幾度も描かれている。

だから、言葉の裏には、想像もつかない実感と重みが含まれているように思えて、強く胸に刻み込まれた。

以来、私は伝えられる内に、よしんば拒絶されようとも、ちゃんと言葉にして伝えようと心がけている。

社会上の人間関係も、SNSも、ふとした拍子に繋がりが消えることはザラなのだから。

 

 


高校から何年も経ち、社会に出ても、後悔の連続だ。

学生時代に比べれば、落ち着いて話せるようになってきたが、言葉選びを間違えたり、言葉が不足することは多々ある。潜在的恐怖心が残っているか、あるいは単に人との距離の取り方が下手くそなのだろう。

それでも、人見知りなりに、前向きなコミュニケーションの姿勢は忘れないよう、ここに書き残そうと思う。