百々雑記

感情についてつらつらと

いつだって幸せの形は性癖が知っている

百合のセンサーが鈍くなってきている、と感じた。

それは恐らく、百合の概念が多様化してきたこと、様々な百合観の主張をツイッターで見かけたことが影響しているのだろう。なにぶん流されやすい性格のため、自分を見失いかけているのかもしれない。

これはいかん、と思った。なので、改めて己の百合観を言語化することで、輪郭のぼやけたイメージを整理しよう、というのが本記事のテーマである。

以下、とりとめもなく、恥も外聞もなく性癖を語っていく聞き苦しい記事となるが、許して欲しい。

 

 

さて、私は、女の子同士のスキンシップが大好きだ。もっと言えば、情事に至るクラスの、密で熱量のあるスキンシップだ。

 

ハグをした瞬間に伝わる、互いのやわらかさ、温もり。

間近で顔を合わせ、くすくすと笑い合う時間の愛おしさ。

指を絡め、徐々に高まっていく感情。

やがてゼロへと近づいていく距離。濡れた瞳と唇。

そして、唇を触れた時に胸に広がる甘やかさ。

 

こうした、情事に至るまでのプロセス全てが好きなのだ。

ぶっちゃけ前戯だけあればいいとすら思う。いやごめん本番も見たい。

 

そんな性癖のイメージの基盤として一番記憶に残っているのは、過去に少しだけ手を出した、レズAVにあったシチュエーションだ。

それはAVに多々あるような、がっつりセックスをやる、という感じではなく、とても静かな流れの展開だった。時間の大半が、ベッドで抱き合い、ただ見つめあったり、啄んだキスをしたり、聞き取れるかあやしいくらいの声で何かを囁きあったりしている。いざ本番に入ろうと服を脱がせ合う時でも、二人ともゆっくりとした所作で、時折くすくすと笑いあって、全然本番に進まない。

エロさの漂わないそのシチュエーションに、私は感銘を受けていた。「これこれこれこれ!  こういうのが見たかったの!」と充足感に溢れ膝を叩いていた。あくまでAVはAVであり、実際のレズセックスと本質的なものは違うのかもしれない。しかし、私が求めているスキンシップ像は、そこにある気がした。

 

本番行為そのものに興味がないわけではない。どちらかといえば、推しカプにはセックスをしてほしいとすら思う。実際、色々な百合作品を手に取る中で、セックスに至るシーンだってあるわけだが、手放しに喜べる時と、そうでない時がある。

モヤモヤとした疑問を晴らしてくれたのは、牧村朝子氏の著書『百合のリアル』だった。現代社会における性事情を書き連ねたこの本の中で、女性同士のセックス観を自身の体験も交えて述べている章があった。それが私の百合観を補強することとなる。

 

レズビアンっていったって、めちゃくちゃいろんな人がいるんだし、もちろん全員知り合いってわけではないからわからない。でも私自身は、例えばお互いの耳や首筋や背中やおっぱいや気持ちいいと感じるところを色々を、やさしく触り合ったりなめ合ったりするのが好きです。どちらが男役とか女役とか、どちらが攻めるとか受けるとかそういうことは特になく、ただお互いに見つめ合って、触りあって、感じ合って、彼女と私の体の境目がどこだかわかんなくなっちゃうくらいに溶け合うのです。

 

セックスは高度なコミュニケーション。各所で言われる言葉だが、蓋しその通りだと感じる。触れ合った時に生じる膨大な情報量と感情のやり取りを、一つずつ噛みしめるだけでも、十分なのだ。

 

もちろん相手をオーガズムまで導いてあげられると嬉しいけれど、自分や相手がイク/イカないには全然こだわりません。とにかく、恋人同士じゃなくっちゃ見せないようなところをお互いに触ったり舐めたりしあって、ひととおりエッチなことに満足して、そのままいちゃいちゃしているうちに、安心して眠たくなって一緒に寝ちゃうのが最高に幸せなんです。

 

性欲というより、互いの幸福感を重点に置いてる点で、私は頷くばかりだった。性的快感がセックスの全てではない、私もそう主張していきたい。(『百合のリアル』はレズビアンに限らず、性の向き合い方について、男女問わず深く考えられる名著である。百合に興味がある方々は、是非とも手に取り読んでいただきたい)

 

 

 

話が百合観というよりセックスの話に寄りすぎてしまったが、百合観、性癖については以上の通りだ。要するにいちゃいちゃしてるのが大好きなのだ。

そもそもスキンシップ、キスというのは、心の許した相手に行う行為であり、だからこそ気持ちの繋がりも深く、甘やかなものとなっていく。二人の間にあるのがプラトニックな感情なのかエロスな感情なのか、それは問題ではない。ただ互いを思いやる気持ちが、側から見ても胸焼けするほどに伝わってくればいい。そのいちゃいちゃの最高段階として、情事前のスキンシップが好きなのだ。

こうして言葉に起こしてみると自明のことであったが、しかし、性癖が生み出す熱の感覚を、長らく忘れていたように思える。

言葉にするって、結構大事なのかもしれない。口にした内容がかなりアレなことに目を逸らしながらふと思った、梅雨明けのとある1日だった。