あなぐらのなかにいる

感情のことをつらつら話します

一枚の紙から始まった話

私が小説を書く切っ掛けとなったのは、ある日の放課後、清掃の時でした。

 

担当していた教室は校舎の外れにあり、授業で殆ど使われることのない、寂れた教室でした。空っぽの机を動かして、床を掃いて、また戻す。静かで退屈な場所でしたが、教科書の置き勉で机が重くならない分、他の教室よりも大分気が楽だった記憶があります。  

いつものように最前列の机を持ち上げた時、中からひらりと、一枚のルーズリーフが。

誰かの忘れ物だろうか。でもこんな空き教室になぜ?  不思議に思いながら拾い上げると、私は息を呑みました。

書いてあったのは、小説でした。

恐らく女子が書いたのでしょう。丸く綺麗な文字で、物語がルーズリーフ一面に書き込まれていました。どんな内容が書いてあったのかは、あまり覚えていません。花屋の店員と客の微笑ましい会話だったような、喫茶店のとあるやり取りだったような、もっと別の内容だった気もします。ただ、テンポがよく、心地の良い言葉運びだったのは確かです。読んでいた時間はほんの数秒でしたが、書籍として読んできた小説とは全く異なる感覚に襲われました。同じ年代で、こんなに柔らかな話を作れる人がいる事への驚き、尊敬。そして、この話はどう続いていくのかという期待。

けれど私は、湧き上がってきた感情を、全て飲み下しました。小説を元の場所に戻し、何も見なかったと自分に言い聞かせ、再び清掃に戻ったのです。当然でした。そもそも、誰かがこっそりと書いていた小説を覗き見ること自体、褒められた行為ではないのですから。

翌日、もう一度机を覗いたら──持ち主がきちんと回収したのでしょう──例のルーズリーフは消えていました。あの物語が果たしてどんな展開をしていくのか、二度と知ることはできませんでした。

結局のところは、何も起こらずに終わった、ほんの些細な出来事です。ですが、作者も知らない、内容もおぼろげな、あの一枚の紙が、なぜかずっと頭の中に残り続けていました。

 

幾日か経ち、私の心に、小さな変化が起きました。

自分も、小説を書いてみたい。

いつからか、ルーズリーフを買い、こっそりと授業中に妄想を書き起こす日々が始まりました。

単純な動機です。「◯◯さんがやっていたから、自分もやってみよう」。中学生の自分らしい、極めて短絡的なもの。でも、もしかしたら、そんな短絡的原動力こそが一番大事だったのかもしれません。

私が初めて完成させた小説は──果たして小説と呼べるものか判りませんが──好きだった歌の歌詞からイメージした、幼馴染との恋愛、そして失恋までのプロセスを描いた話でした。

夏休みいっぱい、父から借りたお古のパソコンにしがみついて、一心不乱に書き続けました。自分なりに起承転結を意識して、面白いと思った展開を補足していって、ぐちゃぐちゃになった話の軌道を修正したりして。とにかく、頭の中にある話を吐き出して、素人なりに完成に向かおうとしていたのを覚えています。

そうして出来上がった小説は、読み返すとやっぱり気恥ずかしくて、他人に見せらせるものではなかったです。まともに恋愛をしたことのない中学生が、一つの曲から妄想を膨らませただけなのですから。けれどどこか満足感に満ち溢れ、自然と、次の小説へ取り掛かっていったのを覚えています。

 

こうして、小説であれブログであれ、何かを発信する時、不安に感じることがあります。自分の産み落としたものは、取るに足りず、ただインターネットの海に消えていくだけなのではないか、と。

けれど、今こうして言葉を綴る自分たらしめているのは、一枚のルーズリーフが残していった、微かな刺激です。

だから、自分も、あの作者も知らない物語のように、何か残せるとしたら幸せだなぁ、と思う昨今でした。

 

 

※余談

中学の卒業式の時、「小説家になりたい」と、淀みのない目で語っていた子がいました。その子とはあまり面識が無く、果たしてあのルーズリーフの持ち主かは分かりません。もし、そうだったとしたら、より素敵な話を綴る小説家になっているといいな、と、ぼんやり思うのでした。