あなぐらのなかにいる

感情のことをつらつら話します

幸福追求と時間とインターネットと

ツイッターからちょっと離れよう、と思いました。

ツイッターから離れようと思った理由は二つ。

一つは、「小説の読み・書きに使う時間をしっかり設けたい」。もう一つは、「必要以上にツイッターに依存してしまったから」。この二点です。

コミュニケーションツールとしては依然として使うつもりなのですが、顔を出す頻度が減る、くらいの話です。

実際のところはそんな感じなので、もしフォロワー様が見ていたら、ここで閉じて貰って大丈夫です。ひょっこり顔出しては変わらずゲームと百合の話をすると思うのでよろしくお願いします。

以下、しょうもない経緯について。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、小説の読み書きについて。

これまで、小説、SS、ついでにブログの類は、気が向いたらふらりと書く、それこそ一年に一本投稿するか程度の頻度でした。ただ、最近はフォロワー様も増えてきて、嬉しいことにSSやブログに感想を頂くことがありました。本当にありがたい話です。頂いた感想は大切に取ってあります。

そんな訳で、少しずつだけど、物を書くことに真剣に取り組んでみようかなぁと思い始めました。

で、いざネタを妄想したり書き出したり、文章を組み立てようとすると、全然上手くいかない。当然かつ必然ではありますが、己の勉強量、経験値不足が露見することになりました。

昔、似たような悩みを話した時、恩師である大学の教授は、「数をこなしなさい」とだけ言いました。その時の私は、「そりゃそうだよなぁ」と漠然と受け取っていました。あれから数年間、何かと理由をつけてサボり、数をこなしてこなかったツケを払わされたという訳です。自業自得ですね。あくまで趣味の話ではあるのですが、その趣味すら半端であったことに打ちひしがれました。

とは言え、気まぐれで書いたSSやブログは稚拙だけど、今読み直しても我ながら好きな話はあります。「もう少し上手く描きたかったなぁ」と思うことも何度もあります。なので、「上手くなりたい自分」に正直になりたい。そのためのインプット・アウトプットの時間を設けよう。そういう話です。

すると、「いや時間なんて皆やりくりしてやってるもんじゃん……」というツッコミが生まれるのですが、そこで2つ目の理由に直面することになるのです。

 

ツイッターへの依存について。

こっちは想像するまでもないと思います。典型的ダメ人間になってしまった例です。

数年前は、壁に話しかけてるぼっちアカウントだったのですが、これまたありがたいことに、フォロワー様と少しずつ交流する機会も生まれてきました。

知見を共有したり、人見知りだったオタクがコミュニケーションに対し前向きになれたことは、プラスだと言い切れます。

ただ、気づかぬ間に、可視化された承認欲求に振り回されていたようです。

百合オタクとして、「こんな良いコンテンツあったで、見て見て」とツイッター媒体に適した発信をすることに躍起になり、自身の研鑽、自身への投資が気付けば疎かになっていました。SSもブログも書きたいと思いつつ全然進んでない。ダメじゃねえか。

そもそも、コンテンツのツイートに関してもそうでした。

昔は、誰の声も気にせず、ふと見つけた作品をじっくりと楽しんでいたはずでした。感動した物語を自分の中で時間をかけて咀嚼し、自分だけの解釈、世界を広げていった筈です。

その感想を、インスタントに伝わる内容、インスタントなネタを意識して、オタク構文めいたツイートするようになり、段々と「自分だけの世界」というものが薄れている気がしました。

その危機感をうっすらと感じつつも、ブレーキをかけられなかったのが、これまたダメだったのでしょう。

ネガティブなことは喉元で押し留め、ヘラヘラしたアカウントとして生きるように努めてきたことに、些か無理をしていたようです。

自分より理路整然と文章を書ける人。地道にコツコツと努力を積み重ねている人。そんな人たちをTLで眺めながら、嫉妬を抱きました。しかし、それ以上に、彼らに追いすがるための努力を何もせず、結局ネタツイを生産している自分が、何より嫌でした。

TLに流れてくるバズやら自身のツイートのいいねを気にする暇があったら、「自分が一番したいこと」「自分だけの世界」をきちんと掘り下げるべきだったのです。

 

 

 

乱文長文ながら書き連ねてきましたが、要するに「ツイッターに躍起になり過ぎて消費してきた時間を一旦見直す」という話です。

必要以上に下ろし過ぎた根を取り払い、心を入れ替えてインターネット生活をしていこうと思います。

この先のことは全然決めてないけど、積んでた作品を読んだり、物を書くのもやれるだけのことはやってみる。まずはそうしたプライベートの充実に力を注いでから、また考えます。

ゲー音ランキング2017を振り返る

こんにちは、ウォークマン16GBの容量が残り1Gになり震えているあなぐらです。

今回のテーマは、ずっと語りたいと思ってきたゲーム音楽について。

そこで、有志の方によって運営・開催されている「みんなで決めるゲーム音楽ベスト100wiki」を基にお勧めのゲー音を紹介していきたいと思います。

このサイトでは、総合的ランキングから、ラスボス曲に絞ったもの、ピアノ曲に絞ったもの、泣ける曲など、多角的視点から投票を行なっているため、ランキングを眺めているだけで、新たな発見があることもしばしばです。
参考にするのは、半年ほど前に行われた2017年ランキング。こちらから、ゲーム内容も併せて振り返る、というのがテーマです。

リンクはこちら。

https://www21.atwiki.jp/gamemusicbest100/sp/pages/7065.html
例年にも負けない粒揃いなラインナップだったのですが、2017年は任天堂のゲームが比較的多く上位ランクインしたのが印象的です。「おいおい任天堂無双じゃんかよ」みたいな思いも抱きましたが、スプラトゥーン2ゼノブレイド2など今も尚人気なタイトルも多く、そう考えると納得の順位だったように思えます。

また、例年とは明確に違う要素が(上位層を主に)あったから、というのもあるのでしょうが、その点についてはまとめの際に。


……という訳で、目に付きやすいタイトルを主にピックアップして。振り返っていこうと思います。筆者が全てのゲームを網羅している訳ではないので、「このタイトル書いてないやん!」などの不備に関してはご容赦を。「こんなゲーム出てたなぁ」くらいの気持ちで見て頂くのが1番だと思います。

 


スーパーマリオオデッセイ

Jump Up Super Star! NDCフェスティバルエディション(1位)
スチームガーデン(5位)など

Jump Up, Super Star! (Full Ver. Official iTunes Release) Super Mario Odyssey Main Theme - YouTube
Switch媒体で満を持して登場した箱庭系マリオ。帽子を使ったキャプチャーで様々な人・物・エネミーを操作出来るユニークさ、バリエーション豊かな収集要素が従来の箱庭マリオと異なる点。ミニゲームでは過去作のBGMが流れたり、ラスト面でキャプチャーするのがまさかのキャラだったり、マリオファンを確実に唸らせる要素が散りばめられた、シリーズ集大成と呼べる一作です。
BGMはWii時代から引き続きオーケストラを採用しており、広い音域ながらソフトで、繰り返し聴きやすいフレーズなのが特徴。
見事1位にランクインした「Jump Up Super Star!」は発売前からPVやCMで流れており、発売前から大きく注目を集めていました。
実際、ゲーム内で流れた時のステージは、マリオの原点である「ドンキーコング」をイメージした作りになっており、曲の間奏の部分もドンキーコング1面のフレーズが使用されているというファンサービス仕様。しかも、ムーン集めをやりこみきった果てにある最終面の導入でも流れるため、マリオオデッセイのシンボルとして強い輝きを放つ一曲となっています。
また、サントラには全てのBGMの8bitバージョンも収録。ファミコン時代のピコピコした感じも楽しめる一品に。ゲームとしても、サントラとしても間違いなくお勧めできる作品になっています。

 


ゼノブレイド2
Counterattack(3位)
スペルビア帝国〜赤土を駆け抜けて〜(11位)

Xenoblade Chronicles 2 OST - Counterattack - YouTube
美麗な最先端グラフィックと王道ファンタジー路線で突っ走るRPG。筆者は好奇心で手をつけた一作ですが、映画を見ているかのように迫力のあるシナリオとムービーに圧倒された記憶があります。
さて、ランクインした「Counterattack」ですが、戦闘曲ではなく、イベントムービー中に流れる劇中曲。ラスボス戦のようにピンポイントな一曲ではなく、何度も流れるBGMがベスト3にランクインするのは珍しいかもしれません。
そんな「Counterattack」、各章の戦闘がクライマックスになった時流れる曲なんですが、恐ろしいほど心が引き込まれる。
導入の切ないピアノ……敗北の危機に瀕する絶望的状況から、サビでワッと盛り上がるストリングスが流れ……一転して覚醒するシーンへ──と、ここぞってタイミングで上手く差し込まれるので、「Counterattack」が流れた途端、自然と画面にかじりついてる自分がいる程、シナリオの熱さを後押ししていた一曲なのは間違いないです。
ゲーム自体もRPGとして純粋に良作だったのですが、シナリオを思い出す時、真っ先にこの曲が浮かぶほど強烈なインパクトを残していったので、物語とBGMの科学反応を痛感した曲とも言えます。他作品のラスボス曲等を押しのけ3位という順位にも納得です。
ちなみに、9月にはゼノブレイド2の外伝作品「黄金の国イーラ」が発売予定。本編を楽しんだひとは勿論、外伝から入っても問題ない作りになっていると思うので、この機会にいかがでしょうか。値段も4000円とお買い得。


・リディー &スールのアトリエ
向日葵〜その3〜(10位)
向日葵〜その1〜(21位)
紫陽花〜その3〜(22位)

Atelier Lydie & Suelle OST - 紫陽花 ~その3~ - YouTube
ゲーム音楽界隈をかじってるならおなじみ、ガストのアトリエシリーズです。アトリエシリーズ集大成と銘打っている本作は、トラック数もシナリオ量も最大ボリュームなのが特長。リディーとスールや仲間たちのドタバタ劇から、家族愛をテーマとした父母と娘を巡る温かな本編まで、 味わい深い話になっています。

また、UI周りがかなり快適で、筆者はプレイ時間こそ100時間近くいきましたが、ストーリーのイベントを一つ一つこなし続けた結果こうなった、という印象。調合してるだけで楽しい。

音楽についてですが、音色の豊かさ、聴きやすさが特長。

ジャズ、クラシック、民族音楽、ロックなものまで、使われる楽器やジャンルは多種多様。けれど、どれもがするりと耳に残る、気軽に口ずさめるような親しみ易いフレーズを残していくのがガストの音楽だと思います。気分は上がるけど、刺激が強いというわけではなく繰り返し聴ける。そんな曲がもりもり詰まっていて、作業用にも適したサントラとして強く推せます。個人的には1番オススメ。

いやホント、アトリエシリーズの戦闘曲とアトリエ内BGMは是非聴いてみてください……ハズレ無いんで……

 

ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド

魔獣ガノン戦(13位)

『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド オリジナルサウンドトラック』収録曲紹介オリジナルムービー - YouTube

従来のシリーズとは一変した、サバイバルでフリーダムなゼルダ。全部のダンジョンをゆったりと巡ってもいいし、すぐガノン戦に直行も出来るオープンワールドなシステムから、発売直後から話題になったゲーム。

本作の音楽の重要な点は、「この曲がすごい!」というより、「限りなく自然なBGM」というところでしょうか。

スパッと説明するのは難しいので、こちらの記事を見てもらうのが1番早いと思います。

https://note.mu/geekdrums/n/naeac6465b1a5

勿論サントラも買って損はないクオリティなのですが、リアルタイム感を演出するために様々な工夫がゲームのシステムに組み込まれているため、ゼルダの世界をプレイしている時のみ生まれる独特の臨場感が、他のゲームには無い面白い点です。

 

ドラゴンクエスト11過ぎ去りし時を求めて

愛のこもれび(9位)

ひるまぬ勇気(24位)

ドラクエ11 BGM 通常戦闘曲「完全版」 - YouTube

長くの時を経て発売された、ドラクエナンバリング最新作。

過去作(主にロトシリーズ)との繋がりがとても強く、クリア後の世界については、シリーズファンを徹底的に落としにかかる演出の連続から、ドラクエシリーズの集大成と言っても過言ではないでしょう。クリア後までが本編だぞ!
  

ドラクエ11のBGMに関しては、「オーケストラ音楽による原点回帰」という印象でした。ドラクエ初期を想起させるようなフレーズと迫力あるオーケストラが混ざり合い、どこか懐かしさを感じながらプレイしてた記憶があります。音質目的でPS4版を購入したなんて話もちらほら見かけますが、それも納得のクオリティ。

また、ドラクエ11を構成するファクターとして、過去作のBGMがあちこちで挿入される点も大きい点。新曲、過去作の曲一つ一つから色んな思いを想起させられ、「演出」の機能を最大限に発揮しているのが、今作の全体的イメージです。

 

 

・まとめ

 

上位層で、かつ有名だった作品を主にピックアップしていったのですが、いかがだったでしょうか。

この2017年ランキング、紹介文で頻出した単語から分かる通り、シリーズ集大成と呼べるような作品が非常に集まった年となっています。紹介してないものでは、ポケモンUSUMもそれに近いテイスト。

渾身の一曲と呼べるようなものがベスト30付近までひしめき合い、激戦とも豊作とも呼べる年となりました。どれも一見の価値ありな曲ばかりなので、調べて聴いてみたり、サントラ、iTunes等から購入してみてはどうでしょうか。

 

余談ですが、暫くしたら、総合分野の第12回ランキング、2018年ランキングも開催されます。その時、是非あなただけの名曲を投票してみてください。それがまた誰かの新たな曲の発見に、ゲーム業界の発展に繋がるはずです。

雑記 一年を振り返る

今回は私事を延々と振り返るただの雑記です。

 

あまり一年を振り返る、なんてことはすることがなかったのですが、去年のこの時期から、本当に色々なことがありました。

例えば卒論。成り行き上、文学がテーマの論文を書くこととなり、大学最後の夏休みを見事に学校の図書館に籠るだけの夏休みとして過ごしました。書いては提出、返ってきた赤線を修正。不足してた表現と論述を直して、また提出。そのラリーを卒論期限ギリギリまで延々とやっていましたが、今思い返すと、割と楽しかったように思えます。

ゼミの教授は大学一年からお世話になり、進路から一人暮らしの方針について、色々と話に乗ってくれた恩師です。卒論を終えた時、「卒業しても小説とか何か書いてみたいですねーワハハ」と、(言うても無理みたいなリアクションされるやろ……)みたいな軽い気持ちでポロっとこぼしたら、

「いや同人活動してもいいんじゃない?  文章好きだし上手いんだから」

と県内の文学コミュニティを紹介された時は、一瞬頭が真っ白になりました。本当に大学時代の恩師です。

 

他にも、インターネット周りにも変化がありました。1年前はツイッターもほぼ壁に話しかけるだけのコミュ症アカウントだったのですが、切っ掛けが色々と重なり、少しずつですが交流が生まれました。その交流を通して新たなコンテンツに手を伸ばしたり、またこうしてブログなり文字を書いてみようと思ったり、リアルの方でもほんの少し外交的になってきたり、自身の行動に大分変化があったと思ってます。リプライ一つ送るのに心臓バクバクだった頃が懐かしいですね。いや今も緊張しまくりですけど。

 

最後に、就活。年中心身がボロカスな上、卒論と資格勉強に明け暮れて亀のようなペースで活動した記憶しかないのですが、「無理のない体調の持ち直し方」「人見知りな中他人と話をする」といったことに常に向き合う必要があったため、今では比較的マシな身体と精神衛生を維持できてます。筋トレは偉大。人間コワクナイ。

 

そんなわけで、大学とか卒業とか就活とか、大きな人生の転機であったのもあるけれど、一言では収まらない多くの刺激を受けて、1年前よりも色々と自分の中で変わったんじゃないかなーと思い、振り返った日記でした。インターネットの隅で細々と文字を書くだけの人間ですが、お付き合い頂ける方は今後とも宜しくお願いします。

 

 

※余談

タイトルに一年を振り返る、とありますが、なぜこのタイミングで一年かと言われれば、答えは単純。

今日が私の誕生日だからです。

いやこれまで誕生日が〜とかアピールしてこなかったし、よりにもよって今回は夏コミと誕生日被っているので、私がどうこうというより、多くの人には是非無事に猛暑と台風を乗り越えて欲しいという思いの方が強いのですけどね。自分もいつか行きたい。

幼女になりたいと思った話

幼女になりたい。

ふと思ったのが、桜が散り始めた4月の中頃、公園の隅にちょこんと立っている、小学生くらいの女の子を見たときである。1年ほど前の話だ。

こういう書き出しにすると不純な動機を想像するかもしれないが、そんな事は決して無い。──いや、同年代の女の子たちが公園でワイワイとサッカーとしている中、あの子は無関心を貫いている。その光景は百合厨的にエモいと思っていたが。

それはさておき。

女の子は桜の木の前に立ち、黙々とスケッチブックに鉛筆を走らせていた。すぐ近くで行われているサッカーを意にも介さず、あの子かわいい~と言いながら通り過ぎていく女子大生の声も耳に届かず。

ただ熱心に桜の木を観察し、線を描くすることに集中している。

その姿が眩しかった。かつての自分は、あの子のように、友達付き合いすらかなぐり捨てて熱中できるものがあっただろうか。なんておぼろげな記憶を巡らせながら、スーツ姿の疲れ切った自分を省みたのだった。


幼女に──子どもになりたい、と言ったが、厳密に言うと、「子どものような目線を取り戻りたい」のである。物事をシンプルに捉えていた、純粋無垢だった頃の視点を取り戻したいのだ。

例えばの話だ。自分も同じように桜の木の前に立ったとする。1分間、ぼうっとだ。

そうした時、読者の方々はどんなことが頭に浮かぶだろうか。


桜が散りゆく、季節の流れだろうか。

段々と気温が温かくなってきた実感だろうか。

新年度を迎えた、社会の新しい風だろうか。


自分の場合は、「そんなことより帰って資格の勉強しろよ」である。多分疲れている。寧ろその木の下で一息ついた方がいい。

花より団子、とはよく言ったものだが、人の視界は自分の課題、目的以外見えないようになってくる。昔流行った脳内メーカーのように、脳のリソースの大半は目の前のものとは別の何かに割かれている。雑念、と言い換えてもいいかもしれない。無論、大人になっても目の前の事象をシンプルに受け取ったり、一つの物事に熱心に取り組む人はいる。その人はきっと、脳のリソースに──自分に余裕のある人だ。しかし20数年生きてくると、余裕のある人間として出来上がるのはまこと難しいと思い知らされる。明日のタスクやら責任感やら、逃げても逃げても付きまとうことは沢山ある。これからも増えていくことだろう。

そんな、脳髄まで俗世に染まってない頃の真っ直ぐな目線を、あの4月の少女に見たのだ。世間体も、社会的責任も考えず、ただ目の前の好きなものを一心に追い求めた目を。そして、自分の目に映る世界は、10年前より複雑になっていると思い知らされたのだ。

実際のところ、「子どものような目」を取り戻すことは難しい。大事なことも余計なことも知ったからこそ大人であり、その情報を土台にして生きているからこそ大人なのだ。偉くもなく、惨めでもない、ただ、自然と成り行く現象だ。結局のところ、複雑化した現実になんとか折り合いをつけて、死ぬまで付き合っていくしかないらしい。

だから、自分に出来ることなんて、せいぜい祈るばかりだ。桜の木の前に立ち、一心不乱に鉛筆を走らせていた少女が、その真っ直ぐな感性を保ったまま、健やかに育つことを。この先、何枚も描き上がるであろうスケッチが、大人になった時の財産となっていることを。

そう願った、とある春の一日だった。

 

 

8/22発売の小説の神様二巻が出るので、小説の神様一巻を紹介する

  先日、私の大好きな作品の続刊発表があり、歓喜に震えました。

 

 


    相沢沙呼先生の作品を知ったのは「小説の神様」からで、繊細で柔らかな文のタッチにぐいぐいと引き込まれていきました。

  その続刊の発売に際して、「小説の神様」について説明、紹介しようというのが今回の記事です。これを機にみんな相沢先生の作品読んで。


・あらすじ(講談社タイガ文庫から引用)

  僕は、小説の主人公のなり得ない人間だ。学生で作家デビューしたものの、発表した作品は酷評され、売り上げも振るわない……。物語を紡ぐ意味を見失った僕の前に現れた、同い年の人気作家・小余綾詩凪。二人で小説を合作するうち、僕は彼女の秘密に気がつく。“彼女の言う、小説の神様”とは?  そして合作の行方は?  書くことでしか進められない、不器用な僕たちの先の見えない青春!

 

  「小説の神様」は一言で表すなら、所謂クリエイター側の物語。

  「SHIROBAKO」や「ハケンアニメ!」、「こみっくがーるず」など、創作者側の物語は、今や大分普及しつつあるジャンルです。そんな「小説の神様」もその一つです。

  何よりこの作品の特徴であるのは、「売れない作家の視点」で、一般文芸の小説家の苦悩がギッシリと詰まった作品になっています。

  作者自体が、小説シリーズや原作の打ち切りを何度も経験しているせいか、主人公から発せられる嘆き、嫉妬はどこまでも生々しい。

  自分の物語を待っている読者なんて居ない、小説に人を動かす力なんてない、売れない小説になんの価値がある?

  趣味や同人ではない、生きるか死ぬかの商業で食っているが故の事情、葛藤が濃密に描かれていました。正直、すごく重い。読んでてつらい。

 

  ですが、それでも、この物語の目標は、「小説を書くこと」……ひいては「小説を書く意味を見つける」ことです。

  ヒロインである小余綾詩凪が、「小説には人を動かす力がある」と何度も叱咤するように。「小説を書いてみたい」と言う後輩の成瀬秋乃を巡り、ありのまま物語を書くべきか、かける言葉に迷い、思索したように。

  千谷のように内気な人間が物語の主人公たり得ないとしても、そんな自分の書く物語が多くの人にウケないとしても、彼は小説を書く道を選んだ。それはなぜか?  詩凪の言うような力は、光は、執筆の先にあるのだろうか?

  小説を、物語を愛する人に、是非読んでいただきたい一冊です。

 

  そして8月22日に出る続刊も読んで……

 

小説の神様 (講談社タイガ)

小説の神様 (講談社タイガ)

 

 

ゲームBGMを語る 〜リディー&スールのアトリエ編〜


 あなぐら団子です。今回のテーマはゲーム音楽です。私はゲーム音楽が死ぬほど好きで、定期的に某ゲーム音楽ランキングに投票したり観察したりして、日々ゲーム音楽をエンジョイしてます。
 なので、ゲーム音楽をめちゃくちゃ語りたいオタクなのですが、なかなかどうしてゲーム音楽を語れる機会ってあまり無いわけで。ならブログで好き放題語っていこう、という次第です。

  方向性については手探りですが、とにかく好きなゲー音を、原作、原曲を知らない方にも興味を持って貰えるように書いていきたいです。


  ということで、今回は、現在プレイしている「リディー&スールのアトリエ」から紹介していきます。

・リディー&スールのアトリエ

 

 

  錬金術師の双子、リディーとスールが、国の依頼をこなしたり、不思議な絵画の世界を旅しながら、「国一番の錬金術師」を目指す話。
  ゆるゆるな話の雰囲気と時間がゴリゴリ溶ける錬金術システム等、アトリエシリーズのキモを踏襲しつつ、ストーリー進行周りのUIがとても快適になった、気楽にできる良作。サントラに入ってる曲もdisc4まで分けられ、90曲近く入ってる大ボリューム。それで3600円。圧倒的コスパ

 

 具体的なゲーム性の話は他のブログ様にお任せするとして、本題のBGMの方の紹介をしていきましょう。

 


『リディー&スールのアトリエ』サウンドトラック 試聴動画第1弾


『リディー&スールのアトリエ』サウンドトラック&ボーカルアルバム 試聴動画第4弾

https://www.youtube.com/watch?v=sE6DY1Aa698


・紫陽花 その1〜3
 操作キャラがリディーの時の戦闘BGM。その1〜3のベース曲は同じで、それぞれ曲調をアレンジしてある形。
 リズミカルな木琴やストリングスの音が心地よく、アップテンポなサビも特徴的と、控えめなリディーのキャラに反してノリノリな“その1”。
 打って変わり、ピアノが前に出てるジャズクラシックな“その2”。
 “その1”寄りで、終盤戦仕様にアレンジされた疾走感溢れる曲調の“その3”。
 3曲通して清涼感ある曲なので聴きやすく、2017年のゲーム戦闘曲系の中で、一番ヘビロテしてるかもしれません。

 

向日葵 その1〜3
 操作キャラがスールの時の戦闘BGM。紫陽花同様、ベース曲は共通。
 とにかく“その3”のクライマックス感が凄く、切なく厳かな“その2”からバトンタッチして、一気にトップスピードで駆け抜けて行くようなギャップに圧倒される。曲単体で聴くとピンと来ないけど、ストーリーの進行とBGMの切り替わりが噛み合った途端、ドカンと科学変化を起こす例。
 因みに、紫陽花・向日葵と同じBGM手法で人気曲を多く輩出した過去作「シャリーのアトリエ」もよろしくね(露骨なマーケティング

知ってるかい?
 メイン盾役の騎士、マティアスの会話シーン曲。ナンパしては空振りしたり無職呼ばわりされたりと残念男友達枠。君本当に王族?
 とまあ会話シーンは基本残念なのだが、彼のサブイベントが進むにつれ、段々と王族騎士らしい一面を見せていく。すると、ハーモニカとアコギのキザっぽさやサビの格好良い音色への変化が、マティアスのキャラ性にマッチするように。曲単体としてのクオリティも十分に高く。今作の中でも、会話シーン曲としての出来は随一でした。

 

Shooting Star for リディー&スール
 裏ボス曲。透明な曲の入りから、どんどんとヒロイックに盛り上がっていく色鮮やかな曲。民族音楽チックな柳川和樹さんの作曲と、熱いギターパートが印象的な阿部隆大さんの編曲が見事に噛み合っている。
この辺りのやり込みコンテンツを極めると、ドナークリスタル投げまくってターンを渡さない半永久ループとか、フィリスの全属性一斉追撃1ターンキルとか、良曲をバックに大味なゲームバランスで暴れ始めるのはアトリエシリーズのお約束。

 

ボーカル曲
スターピース! (歌:霜月はるか / 山本美禰子)
 アバン終了時に流れる挿入歌。OPも同様だが、作中の双子を意識したであろう二人のコーラスが印象的。
従来のアトリエのアバン曲は静かな曲が多く、実際その方がアトリエの和やかな物語の始まり方にも適している。けれど、今回は明るく力強い歌声で曲が展開されていく。
  今作は20周年を迎えるアトリエシリーズの集大成と銘打ってあり、壮大な何かを予感させる、物語のスタートダッシュを担当してくれた。
 柔らかな歌声が特徴的な霜月はるか氏と、山本美禰子氏の伸びのある声が上手く混ざりあった華やかな音色になっており、公式サイトで視聴できるので是非ぜひ聞いて欲しいです。

 

Biyonndo the fate (歌:梶原ひろみ)
  前半戦最後のボス、ファルギオル戦の挿入歌。特別演出と共に固有結界展開して、戦闘開始と共にボーカル流れ始めたら誰だってテンション上がる。
  背景の凍りついた屋敷をイメージしたようなピアノとストリングス、ファルギオルの物語を静かに語るAメロからサビでは彼に立ち向かう不退転の意思に変わる、戦闘に完全にリンクした歌詞。絶対に負けないという高揚感をガンガン揺さぶってきて、何もかもがズルい。ガストの戦闘ボーカル曲の使い方は毎度ながら絶妙で、頭が上がらない。

 


  以上、特に印象的だった曲を取り上げてみました。書籍レビューや映画レビューのゲーム音楽版って感じでしょうか。
  気になったら調べてみたり、サントラ試聴してくれると幸いです。今回紹介した曲の他にもゲームサイトに曲流れてたり、試聴動画もたくさんあるので……

  また、ゲーム音楽の都合上ゲーム内容と紐付けして説明しましたが、ゲームを知らなくても、曲単体でも十分楽しめるクオリティです。(ガストの過去作で、「ゲームは知らないけどサントラは持ってる現象」が生まれたくらいだし……)

 

  ではまたの機会に。ガストの音楽はいいぞ。

 

 

言葉の出力に消化不良のような何かを感じるという話

 

※こちらの記事は他の記事と毛色が大きく違います。ご注意ください。

 

 

 

 

  私は日頃、文字を綴ること、言葉を発することに消化不良のような、正体の見えない不快感に囚われていた。SNSに文章を投稿してもどこか他人の文章を見ている気持ちになり、日常で誰かと――仮に身内との会話であっても、30分話せば疲労を実感する。これではいかん、とあれこれもがき、会話術や作文方法の本にも手を伸ばしてみたが、果たして根本的解決には至らなかった。

 そんな中、ある日こんな記事を目にした。

私が文字を単方向に並べることについて - 思考整理ノート(Flucta) - カクヨム 

 文字を書き、言葉を綴る過程での疑問、問題点について考察していく記事だ。記事で述べている問題提起について私も考えてくにつれ、私が抱えている悩みに、一つの光を見たように感じた。

 以下の論述は、上記記事の中で問題としている、発話の不自由が起きる一因――文字を単方向に並べることに焦点を当て、分解して考えたものである。

 まず、記事で挙げている問題点について確認する。

 

>「紙とペン」は話すことに似ている。というのも、話す場合も、文単位での発話内容が事前に組みあがっている必要があるからだ。つまり何が言いたいかというと、書くことそのものではなく、書くことが話すことに及ぼす影響について懸念しているのである。筆者は、近頃話すことに不自由を感じており、日常「PCとキーボード」の書き方ばかりしていることが一つの原因なのではないかと考えているのだ。例えば、組み立てることに時間をかけすぎて話し始めるまでが長くなっていることや、「あ、待って、さっきの無し」といった消しゴムのような発言をすることが有意に増えている。

 

  整理した文章を会話に用いようとすると、なぜか言葉をうまく引き出せない、という事象は、多少なり散見する出来事だろう。予め台本があると、スピーチや面接で喋れるけど、台本が無い、アドリブだらけの話が苦手――のようなケースに近いかもしれない。

 では、発話の不自由のような現象はどうして起こるのだろうか。逆に、不快感なく会話を続けられる時との違いは何だろうか。

 問題をもう少し分解した結果、問題点としている、発話の不自由というのは、「PCで発信する整理された文章のレベル」と、「現実の会話で必要最低限な文章のレベル」が混ざった結果起きる、エラーのような現象ではないか? と考えた。

  「整理された文章」……いわゆる美文、リズムの良い文章というのは、インターネット、映画、書籍の文章に親しむ人ほど、脳に蓄積されていく。人は会話の中で、記憶に蓄積された文章から適切な言葉を引っ張りだそうとする。だが、複雑な文章を選びその場で理路整然と話そうとすると、当然ながらエラー(あるいはどもる等の処理落ち)を起こすだろう。会話の苦手な人というのは、思考能力が貧困な訳でなく、寧ろ言葉の選択肢が無数に溢れかえっているからこそ会話が大変、というケースが相当数ではないだろうか。(この「思考能力が貧困な訳でない」と解っているか否かが、世間一般のコミュニケーション能力云々の認識に大きなズレをもたらしている一因だと考えたが、その論述は本記事では割愛する)

 次に、「現実の会話で必要最低限な文章」だが、私はこれをシンプルに捉えた。

 「了解しました」「ありがとうございます」といったに定型文に、自分の所感を付け加える感じだ。もっとレベルを落としていいなら、「ウケる」「マジ卍」「草生える」といったスラングも入ってくるだろう。デジタル媒体であれば、インスタントに感情表現できるスタンプもある。

 実際、ギャルの会話は「ウケる」「マジ?」「それな」ベースで一時間以上話せる、なんて話もある。会話に使用する文章のメモリを極力少なくすることで、長時間の会話を成り立たせているのだろう。

 上記の例はやや極端だが、必要最低限の会話を成り立たせるには、そこまで多くの言葉を用いなくていい、多少文の構造が不完全でもいいことが分かる。

 以上の二点を総合して考えると、発話のエラーを抑えるーー「文字を単方向に並べる」ことは、「複雑な言葉は抑え」、「表現をスマートにする」ことではないだろうか、と私は考えた。

 

 以上が、発話の不自由の一因――文字を単方向に並べることについて分解した結果である。

 Flucta氏の記事が現状、あくまで問題の出発点であるように、いち読者として考察を立ててみた。

 世間では適切な言葉のやり取りを、「言葉のキャッチボール」なんて言う。会話術、文章術ではそのボールの適切な投げ方について教えてくれる。だが、肝心なのは「自分のボールを投げるフォーム、○○がおかしくね?」と根底にある個々人の問題を明確化し、仮説と実証を重ねることだ。正体の見えない違和感に実体を与えることで、よりフォームの整ったボールが投げられるのではないだろうか。

 私の立てたこの論述はあくまで叩き台の一つであり、指摘すべき点、課題は残っている。また、文字を読み、文字を書き、会話を重ねる過程で、別の疑問、違和感も噴出するだろう。そうした時は、以前のように窒息しそうなくらい喘ぎもがくのではなく、正面から向き合い、思考を重ねていきたい。

 この記事を読んだ、言葉に関する何かしらの不自由・不快感を抱く人にとっての考察の一助となったら幸いである。