あなぐらのなかにいる

感情のことをつらつら話します

あなただけの、小説が好きな理由が見つかる。 『小説の神様 あなたを読む物語』

二十を過ぎた辺りからでしょうか。「年を取るにつれ、人は本から離れていくのではないかしら」という、漠然とした気配を感じました。
 
文学コンテンツが好きと言っていた元バイト先の店長は、「忙しくて最近の作品は追えていない」とも話し、定期的に本を読んでいた知人も、「今はラノベすら読むのが億劫」と漏らし、かつて一緒に図書館に篭った中学の旧友らも、今では「本」の単語すら口にしません。


そんな中で、「自分は本から離れないぞ!」と、よく分からない意地を張っていました。子どもの頃から本を読んできた私にとって、本を失った生活など考えられなかったのです。
けれど、社会に出始め、心が磨耗するにつれ、一月に読める本が段々と減っていくのを感じました。
寧ろ疲れているのなら、エンタメ性の高い映画やYouTubeの愉快な動画を観る方が断然気楽で、「ああ、こうして人は本から離れていくのか」と、ふと思いました。
自分の何かが音を立てて変わっていくのを感じながら、しかし小説から離れがたい思いは消えませんでした。

小説を読みたい。けれど読むエネルギーは大きい。

映画もある。漫画もある。なのになぜ、小説の媒体が好きなのだろうか。

そもそも、インスタントに娯楽を楽しめる今、小説に拘る理由なんてあるのだろうか。

そうした思考の袋小路の中で、「小説の神様  あなたを読む物語」を手に取りました。

小説を愛するが故の喜びと苦しみが入り混じった激しい熱は、「ああ、やはり小説が嫌いになれない」と思わせるだけのものがある、ずっと心に残るような作品でした。

 

 

 

人物紹介

 

この作品を紹介する前置きとして、『あなたを読む物語』は、二人の主人公の視点が交互に移りながら進行していきます。

 

・千谷一也

一巻に引き続き、本作の主人公。売れない高校生作家。長い間物語を生み出せない状態だったが、小余綾詩凪と合作の企画を経て、再び小説家として立ち上がる。

・成瀬秋乃

もう一人の主人公。千谷が所属する文芸部の後輩。引っ込み思案な性格から前に進むために、小説を書きたいと思っている。

・小余綾詩凪

千谷の同級生であり、覆面美少女作家。合作の相方である千谷と度々意見が衝突したり、小説を書きたいと口にする秋乃に、優しい言葉をかけている。


千谷と秋乃、作家の葛藤と読者の葛藤。この二面性が、『あなたを読む物語』の魅力となっています。

今回は、特に共感できた秋乃に主にスポットを当てて、紹介をしていこうと思います。

 

本を通じた、人との対話

 

秋乃視点の大まかな内容は、以下の通り。

中学生時代、同級生の真中葉子の書く小説を読み、彼女の世界に惹きこまれていった秋乃。しかし、高校生になり、再び出会った彼女は、「もう小説は書かない」と言い出した。また、本屋で知り合った小学生から、「不登校になってる友達を、元気付ける本を探したい」と頼まれる。真中に、不登校の子に、心を繋げられる物語は存在するのだろうか?

 

秋乃の話の中で、強くメッセージ性を帯びていたのは、「本を通じた人との対話」です。

物語の中で、秋乃はクラスメイトであるユイに本を勧めることになります。秋乃が勧めたそれは、可愛らしいキャラクターが表紙の本……いわゆるライトノベルと呼ばれるものでした。
秋乃は一般文芸と呼ばれるものより、ライトノベルを好んでいました。外野から飛んでくる偏見、好奇の視線に晒されながらも、その本にしかない物語に、心が惹かれることを否定することはできませんでした。
だから、ライトノベルに詳しくないユイに本を勧めた時も、色よい反応が返ってくる期待は、あまりしてなかったのです。
けれど後日、ユイの口から飛んできたのは、「すっごく感動した!」と興奮混じりの声。
「共通の本の話題」が橋渡しとなり、ユイとの中は深まっていきました。
 

物語の中心となる真中と知り合ったのも、「真中の小説が好き」という気持ちです。
この描写が綺麗、真中さんのような感性を持ちたい、続きが読みたい、そうした真中の綴る物語が好きという思いを、秋乃が真っ直ぐに伝えたことで、赤の他人だった真中と、友達になることができました。この経験は後に、秋乃が小説を書きたい思いにも繋がっていきます。

本来、読書体験とは、物語を咀嚼し、自分のみの感動として完結するものかもしれません。しかし、読んだ者同士、書き手本人と感想を共有することで、小説を通じて、人が、物語が繋がっていく、それも読書の在り方の一つだと思います。

 

あなただけの物語が見つかる

 

『あなたを読む物語』で何よりも面白いのが、「読み手によって刺さるテーマが違う」こと。物語が進行する中で、千谷と成瀬は、小説に根付いた多くの問題に向き合っていきます。


心ない批判を受けながら、或いは惜しまれながらも、日々打ち切られていく物語。

作家生命を奪う海賊版や万引きの問題。

ライトノベルを薦める時の冷たい視線。

本とはメディアミックスされる売れ方が正義なのか?

売れるためなら自分の信念を曲げるのか?


書き手と読み手、どちらの視点からも共感できる悩みがぎゅっと詰め込んであり、読んでいるうちに、背筋が伸びるような気持ちになります。若い子が無自覚で使う海賊版も、ライトノベルの風当たりが冷たいことも、創作の世界で完結する他人事とは思えません。

 

特に一番心に残ったのは、人に本を薦めることが何か意味をなすのか、心を動かすことなんてできるのか、と秋乃が悩むシーン。

図書室で遭遇した小余綾は、秋乃の話を聞いて、こう語りかけます。

 

「この物語は、わたしのために書かれたのかもしれない。そんなふうに感じる物語と出逢った経験はない?」
「そんな経験ができるのは、きっと幸運なことよ。物語との出会いは運命だから、それができない人たちだっている。有名な作品や人気作は、誰でも手に取る機会が多いと思う。けれどそれは普遍の物語にすぎない。人の心には普遍な心もあるから、広く浅く心に届く物語もあるけれど、でも、狭く深く刺さる物語は、きっと見つけ出すのはとても難しい。その尊さは、一冊の本を何度も繰り返し読んだ経験のある人でなければ、わからないことだわ。自分の読書の経験から、誰かのそんな手伝いができるようになれたら、きっと素敵なのでしょうね」
講談社タイガ  小説の神様  あなたを読む物語  下巻  P.165より

 

読んだ時、心の憑き物が落ちるような気持ちでした。

物語に触れるのは、娯楽のためだけではない。小説の言葉一つ一つが、自分の傷や苦しみにそっとに染み込むような、本でしか経験することのできない、かけがえのない物語を探す。それが読書であり、本を薦めることなのだと。

勿論、前述のユイの話のように、ライトノベルのような作品から交流を深めることもあります。今、多種多様な物語があるように、物語と触れ合う形は様々なのだと、改めて教えられました。

 

まとめ

 

小説の神様  あなたを読む物語」、素晴らしい作品でした。
かつて「小説の神様」一巻を読み、痛ましくも前に進み続ける作家劇に引き込まれた私ですが、『あなたを読む物語』もまた別の切り口で読者にアプローチをしており、興味深く読むことができました。

小説を読むのはエネルギーが要るとか、周囲を気にしたり、そういう「読まない理由」よりも「読みたい理由」に正直になれるよう努めていこうと思います。

また、『あなたを読む物語』は『小説の神様』の続刊ではありますが、本文からキャラの関係性は十分に把握することができること、本に詰め込まれたメッセージ性は単体で完結していることから、『あなたを読む物語』から入ってみるのもアリなのでは、と個人的に思ったりします。

この作品は、小説を愛するが故の苦しみに向き合い、多くの人と対話を重ね、最後には「小説が好き」だと胸を張って言うことのできる。そんなプロセスを描いた物語です。

小説を手に取る人が減っている今だからこそ読みごたえのある、おススメの一冊です。あなただけの「小説が好きな理由」を、見つけてみてください。

ぼっちだけど青春はしてたかもしれない話

学生生活における、青春の定義とは何でしょうか?


友人と馬鹿やることでしょうか?

部活動に全力を尽くし、かけがえのない思い出を作ることでしょうか?

文化祭、体育祭で、クラス一丸となって取り組むことでしょうか?

同年代の学友と築き上げていった時間を、人は青春と呼ぶのでしょうか?


私の高校時代は、どれにも該当しない人間でした。いわゆる、ぼっちです。思い返しても、暗い出来事ばかり出てくるような高校時代でした。卒業してから数年、あの日々を黒歴史認定して、ずっと記憶の底に封じ込めていました。

ですが、時間が経ち、冷静に学生時代の出来事を一つ一つを俯瞰できるようになってきて、ふと思いました。

もしかしたら自分は、青春らしい時間を過ごしていたのではないか、と。

「友人も満足に作れなかった人間が何を言うか」と思うかもしれません。

ですが、ぼっちで孤独感に苦しむ中でも、その苦痛を忘れさせてくれる場所がありました。

図書館、音楽室。転がり込んだ目的こそ現実逃避に近かったですが、そんな私に関係なく、先生は優しくしてくれました。そのお陰で、私は灰色の日々を脱することが出来たのです。

聞き苦しい話かもしれないですが、一人であっても学生生活は色づくということを伝えられたら、と思います。

 


高校時代、私は、人を信じること、そこから繋がる拒絶に、恐怖心を抱いていました。

だから、ぼっちになるのは、恐らく必然だったのでしょう。

中学時代、部活の教師から受けたハラスメントにがトラウマとなり、部に入る気はまるで起きませんでした。加えて、中学の友人が誰も居ない高校に入学したのも災いしてました。自分から話かけられる話題を知らず、人を和ませる切り返しも思いつかず、人の輪に混ざろうとしては、空回りする日々でした。段々と神経は擦り切れ、人の輪に混ざることを諦めてからは、本を読むか、黙々と次のテストの勉強をするか、イヤホンで音を遮断して寝るか……。クラスに一人は居る、典型的な帰宅部のぼっちの誕生です。始業十分前になると、クラスが一気にざわつき始める、その空気に馴染めてない感じが、とても嫌でした。

いつしか、始業前ギリギリまで、図書室に逃げ込むようになりました。手当たり次第に本を読んだり、掃除が杜撰だったので、埃を掃いたりすることもありました。始業前にわざわざ利用しようなんて人は他に居らず、喧騒から離れた空間でひとり、好きな本に囲まれている時間は、とても安らかなものでした。

始業直前まで席を外している司書の先生からも、すぐに私の存在は認知され始めました。顔を合わせるのが掃除をしている瞬間だったこと、また、私が図書委員に所属していることもあり、熱心な生徒だと思われたのかもしれません。司書の先生は、優しく歓迎してくれました。司書の先生はとても柔らかな物腰の人で、最初は緊張していた私にも、落ち着いて接してくれました。

そうして打ち解けると、先生と話す機会が少しずつ増えていきました。それは始業前の僅かな時間に、或いは、放課後の図書委員としての時間に。

──あ、これ新しく入った本ですか、ライトノベルってウチで取り扱うんですか?  そう言えば、ケータイ小説なんてちょっと前に流行りましたよね……

大抵は事務的な話だったり、他愛のない話ばかり。ユニークな話題運びなんてできません。けれど、本について誰かと語り合える機会はそう無く、貴重な時間でした。また、事務的だからこそ、クラスメイトと打ち解ける時のように話題を苦心する必要もなく、程よい距離感でもありました。気づけば、図書館に向かう足取りは、喧騒からの逃避ではなく、本を読み、司書の先生と話すことへの期待に変わっていました。

そうして、図書室は、私の居場所の一つとなったのです。

 

 

 

次に悩みとなったのは、昼休みの過ごし方でした。

纏まった時間を使い、お喋りをする空間、勉強に集中する空間を求め、至る所に生徒が集まっています。

勿論、図書室も例外ではありません。大学受験の勉強のためか、多くの上級生らしき人たちが図書室の机を埋め尽くしていて、気を休められる場所とは言い難かったです。そのため暫くは、偶然空いてる教室を探し、学校を歩き回る毎日でした。

最終的に辿り着いたのは、音楽室。

吹奏楽・合唱部の活動は放課後以降なのか、いつも昼の音楽室はがらりと空いていました。防音で静かなのはいいものの、本を読むのも気が引けて、けれど手持ち無沙汰で退屈で。そのため時間潰しとして、ピアノの前框を開き、「ねこふんじゃった」や「エリーゼのために」を適当に素人感覚で弾いて、昼を過ごしていました。

隣接していた準備室に聞こえていたのでしょう。ある日、音楽の先生が顔を出して、私に声をかけて来ました。

「良かったら、空いてる時間にピアノの練習を受けてみない?」

そうして、音楽の先生から、ピアノの基礎を教わり始めました。

楽譜の読み方、ト音記号ヘ音記号の違い、♯と♭の意味。滑らかな指の動かし方。

手先が不器用なため苦労はしましたが、いつも聴いていたクラシックやアニメの曲を、自分の指から紡げるようになっていくのは、とても心が踊りました。

私にはやはり雑談など出来ず、指導を聞いて、それを指に染み込ませるだけのつまらない生徒でした。けれど、音楽の先生はそれでも、黙々と課題を進める私を、度々褒めてくれました。なぜそんなに親身に接してくれるのか、人と壁を作っている身としては少し疑問で、けれどくすぐったい気持ちでした。

授業の傍らで楽譜を読み解いたり、音楽室を利用する先客がいても逃げ出さずに、空いてるキーボードを借りて練習を進めたり……学校生活の退屈、苦痛、他者の視線の恐怖も、ピアノに注力する事で、段々と薄れていった気がします。後に、ピアノを活かせる保育系の大学へ進学したのも、この経験があったからかもしれません。

部活動も無く、灰色だった昼休みと放課後は、「ピアノの練習」で少しずつ色づいていったのです。

 


つらつらと書き並べてきましたが、私は結局のところ、クラスに馴染めなかった集団社会の不適合者です。「はい二人組作ってー」は死の宣告でしたし、本を読むのもピアノの練習も、つまりは人の輪から離れた一人の世界。それに、中学時代に受けた傷から、人を信じるのも怖いままでした。ぼっちであったことに変わりはありません。

けれど、私があの場所で過ごした時間は、間違いなく、後の人生の糧となっていました。

図書館で広げた見識は、卒業研究の糧となり、

音楽室で積み重ねたピアノの基礎は、大学のピアノサークル活動へと繋がりました。

だからこそ、私は高校生活を振り返り、思うのです。

もっと、司書の先生と色んな本について、或いは司書という仕事について、話を深めたかった。

もっと、音楽の先生から、ピアノだけでなく、他の楽器やクラシックについて、学びたかった。

私が、クラスのはみ出し者である事など関係なく、優しく接してくれた先生に、応えたかった。

そうした思いは、青春と呼ぶに値するのではないでしょうか。

今となっては、全て過ぎ去った日々です。遠い遠い、何年も前の話です。でも、今こうして言葉に綴ることで、どんな人付き合いを大切にすべきなのか、気づけたような気がします。

もしこの記事を目にした学生が居たら、「学校生活で友人がいない=負け組のようなレッテルを張る必要は無い」という願いと共に、この記事を締めくくりたいと思います。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

一枚の紙から始まった話

私が小説を書く切っ掛けとなったのは、ある日の放課後、清掃の時でした。

 

担当していた教室は校舎の外れにあり、授業で殆ど使われることのない、寂れた教室でした。空っぽの机を動かして、床を掃いて、また戻す。静かで退屈な場所でしたが、教科書の置き勉で机が重くならない分、他の教室よりも大分気が楽だった記憶があります。  

いつものように最前列の机を持ち上げた時、中からひらりと、一枚のルーズリーフが。

誰かの忘れ物だろうか。でもこんな空き教室になぜ?  不思議に思いながら拾い上げると、私は息を呑みました。

書いてあったのは、小説でした。

恐らく女子が書いたのでしょう。丸く綺麗な文字で、物語がルーズリーフ一面に書き込まれていました。どんな内容が書いてあったのかは、あまり覚えていません。花屋の店員と客の微笑ましい会話だったような、喫茶店のとあるやり取りだったような、もっと別の内容だった気もします。ただ、テンポがよく、心地の良い言葉運びだったのは確かです。読んでいた時間はほんの数秒でしたが、書籍として読んできた小説とは全く異なる感覚に襲われました。同じ年代で、こんなに柔らかな話を作れる人がいる事への驚き、尊敬。そして、この話はどう続いていくのかという期待。

けれど私は、湧き上がってきた感情を、全て飲み下しました。小説を元の場所に戻し、何も見なかったと自分に言い聞かせ、再び清掃に戻ったのです。当然でした。そもそも、誰かがこっそりと書いていた小説を覗き見ること自体、褒められた行為ではないのですから。

翌日、もう一度机を覗いたら──持ち主がきちんと回収したのでしょう──例のルーズリーフは消えていました。あの物語が果たしてどんな展開をしていくのか、二度と知ることはできませんでした。

結局のところは、何も起こらずに終わった、ほんの些細な出来事です。ですが、作者も知らない、内容もおぼろげな、あの一枚の紙が、なぜかずっと頭の中に残り続けていました。

 

幾日か経ち、私の心に、小さな変化が起きました。

自分も、小説を書いてみたい。

いつからか、ルーズリーフを買い、こっそりと授業中に妄想を書き起こす日々が始まりました。

単純な動機です。「◯◯さんがやっていたから、自分もやってみよう」。中学生の自分らしい、極めて短絡的なもの。でも、もしかしたら、そんな短絡的原動力こそが一番大事だったのかもしれません。

私が初めて完成させた小説は──果たして小説と呼べるものか判りませんが──好きだった歌の歌詞からイメージした、幼馴染との恋愛、そして失恋までのプロセスを描いた話でした。

夏休みいっぱい、父から借りたお古のパソコンにしがみついて、一心不乱に書き続けました。自分なりに起承転結を意識して、面白いと思った展開を補足していって、ぐちゃぐちゃになった話の軌道を修正したりして。とにかく、頭の中にある話を吐き出して、素人なりに完成に向かおうとしていたのを覚えています。

そうして出来上がった小説は、読み返すとやっぱり気恥ずかしくて、他人に見せらせるものではなかったです。まともに恋愛をしたことのない中学生が、一つの曲から妄想を膨らませただけなのですから。けれどどこか満足感に満ち溢れ、自然と、次の小説へ取り掛かっていったのを覚えています。

 

こうして、小説であれブログであれ、何かを発信する時、不安に感じることがあります。自分の産み落としたものは、取るに足りず、ただインターネットの海に消えていくだけなのではないか、と。

けれど、今こうして言葉を綴る自分たらしめているのは、一枚のルーズリーフが残していった、微かな刺激です。

だから、自分も、あの作者も知らない物語のように、何か残せるとしたら幸せだなぁ、と思う昨今でした。

 

 

※余談

中学の卒業式の時、「小説家になりたい」と、淀みのない目で語っていた子がいました。その子とはあまり面識が無く、果たしてあのルーズリーフの持ち主かは分かりません。もし、そうだったとしたら、より素敵な話を綴る小説家になっているといいな、と、ぼんやり思うのでした。

幸福追求と時間とインターネットと

ツイッターからちょっと離れよう、と思いました。

ツイッターから離れようと思った理由は二つ。

一つは、「小説の読み・書きに使う時間をしっかり設けたい」。もう一つは、「必要以上にツイッターに依存してしまったから」。この二点です。

コミュニケーションツールとしては依然として使うつもりなのですが、顔を出す頻度が減る、くらいの話です。

実際のところはそんな感じなので、もしフォロワー様が見ていたら、ここで閉じて貰って大丈夫です。ひょっこり顔出しては変わらずゲームと百合の話をすると思うのでよろしくお願いします。

以下、しょうもない経緯について。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、小説の読み書きについて。

これまで、小説、SS、ついでにブログの類は、気が向いたらふらりと書く、それこそ一年に一本投稿するか程度の頻度でした。ただ、最近はフォロワー様も増えてきて、嬉しいことにSSやブログに感想を頂くことがありました。本当にありがたい話です。頂いた感想は大切に取ってあります。

そんな訳で、少しずつだけど、物を書くことに真剣に取り組んでみようかなぁと思い始めました。

で、いざネタを妄想したり書き出したり、文章を組み立てようとすると、全然上手くいかない。当然かつ必然ではありますが、己の勉強量、経験値不足が露見することになりました。

昔、似たような悩みを話した時、恩師である大学の教授は、「数をこなしなさい」とだけ言いました。その時の私は、「そりゃそうだよなぁ」と漠然と受け取っていました。あれから数年間、何かと理由をつけてサボり、数をこなしてこなかったツケを払わされたという訳です。自業自得ですね。あくまで趣味の話ではあるのですが、その趣味すら半端であったことに打ちひしがれました。

とは言え、気まぐれで書いたSSやブログは稚拙だけど、今読み直しても我ながら好きな話はあります。「もう少し上手く描きたかったなぁ」と思うことも何度もあります。なので、「上手くなりたい自分」に正直になりたい。そのためのインプット・アウトプットの時間を設けよう。そういう話です。

すると、「いや時間なんて皆やりくりしてやってるもんじゃん……」というツッコミが生まれるのですが、そこで2つ目の理由に直面することになるのです。

 

ツイッターへの依存について。

こっちは想像するまでもないと思います。典型的ダメ人間になってしまった例です。

数年前は、壁に話しかけてるぼっちアカウントだったのですが、これまたありがたいことに、フォロワー様と少しずつ交流する機会も生まれてきました。

知見を共有したり、人見知りだったオタクがコミュニケーションに対し前向きになれたことは、プラスだと言い切れます。

ただ、気づかぬ間に、可視化された承認欲求に振り回されていたようです。

百合オタクとして、「こんな良いコンテンツあったで、見て見て」とツイッター媒体に適した発信をすることに躍起になり、自身の研鑽、自身への投資が気付けば疎かになっていました。SSもブログも書きたいと思いつつ全然進んでない。ダメじゃねえか。

そもそも、コンテンツのツイートに関してもそうでした。

昔は、誰の声も気にせず、ふと見つけた作品をじっくりと楽しんでいたはずでした。感動した物語を自分の中で時間をかけて咀嚼し、自分だけの解釈、世界を広げていった筈です。

その感想を、インスタントに伝わる内容、インスタントなネタを意識して、オタク構文めいたツイートするようになり、段々と「自分だけの世界」というものが薄れている気がしました。

その危機感をうっすらと感じつつも、ブレーキをかけられなかったのが、これまたダメだったのでしょう。

ネガティブなことは喉元で押し留め、ヘラヘラしたアカウントとして生きるように努めてきたことに、些か無理をしていたようです。

自分より理路整然と文章を書ける人。地道にコツコツと努力を積み重ねている人。そんな人たちをTLで眺めながら、嫉妬を抱きました。しかし、それ以上に、彼らに追いすがるための努力を何もせず、結局ネタツイを生産している自分が、何より嫌でした。

TLに流れてくるバズやら自身のツイートのいいねを気にする暇があったら、「自分が一番したいこと」「自分だけの世界」をきちんと掘り下げるべきだったのです。

 

 

 

乱文長文ながら書き連ねてきましたが、要するに「ツイッターに躍起になり過ぎて消費してきた時間を一旦見直す」という話です。

必要以上に下ろし過ぎた根を取り払い、心を入れ替えてインターネット生活をしていこうと思います。

この先のことは全然決めてないけど、積んでた作品を読んだり、物を書くのもやれるだけのことはやってみる。まずはそうしたプライベートの充実に力を注いでから、また考えます。

ゲー音ランキング2017を振り返る

こんにちは、ウォークマン16GBの容量が残り1Gになり震えているあなぐらです。

今回のテーマは、ずっと語りたいと思ってきたゲーム音楽について。

そこで、有志の方によって運営・開催されている「みんなで決めるゲーム音楽ベスト100wiki」を基にお勧めのゲー音を紹介していきたいと思います。

このサイトでは、総合的ランキングから、ラスボス曲に絞ったもの、ピアノ曲に絞ったもの、泣ける曲など、多角的視点から投票を行なっているため、ランキングを眺めているだけで、新たな発見があることもしばしばです。
参考にするのは、半年ほど前に行われた2017年ランキング。こちらから、ゲーム内容も併せて振り返る、というのがテーマです。

リンクはこちら。

https://www21.atwiki.jp/gamemusicbest100/sp/pages/7065.html
例年にも負けない粒揃いなラインナップだったのですが、2017年は任天堂のゲームが比較的多く上位ランクインしたのが印象的です。「おいおい任天堂無双じゃんかよ」みたいな思いも抱きましたが、スプラトゥーン2ゼノブレイド2など今も尚人気なタイトルも多く、そう考えると納得の順位だったように思えます。

また、例年とは明確に違う要素が(上位層を主に)あったから、というのもあるのでしょうが、その点についてはまとめの際に。


……という訳で、目に付きやすいタイトルを主にピックアップして。振り返っていこうと思います。筆者が全てのゲームを網羅している訳ではないので、「このタイトル書いてないやん!」などの不備に関してはご容赦を。「こんなゲーム出てたなぁ」くらいの気持ちで見て頂くのが1番だと思います。

 


スーパーマリオオデッセイ

Jump Up Super Star! NDCフェスティバルエディション(1位)
スチームガーデン(5位)など

Jump Up, Super Star! (Full Ver. Official iTunes Release) Super Mario Odyssey Main Theme - YouTube
Switch媒体で満を持して登場した箱庭系マリオ。帽子を使ったキャプチャーで様々な人・物・エネミーを操作出来るユニークさ、バリエーション豊かな収集要素が従来の箱庭マリオと異なる点。ミニゲームでは過去作のBGMが流れたり、ラスト面でキャプチャーするのがまさかのキャラだったり、マリオファンを確実に唸らせる要素が散りばめられた、シリーズ集大成と呼べる一作です。
BGMはWii時代から引き続きオーケストラを採用しており、広い音域ながらソフトで、繰り返し聴きやすいフレーズなのが特徴。
見事1位にランクインした「Jump Up Super Star!」は発売前からPVやCMで流れており、発売前から大きく注目を集めていました。
実際、ゲーム内で流れた時のステージは、マリオの原点である「ドンキーコング」をイメージした作りになっており、曲の間奏の部分もドンキーコング1面のフレーズが使用されているというファンサービス仕様。しかも、ムーン集めをやりこみきった果てにある最終面の導入でも流れるため、マリオオデッセイのシンボルとして強い輝きを放つ一曲となっています。
また、サントラには全てのBGMの8bitバージョンも収録。ファミコン時代のピコピコした感じも楽しめる一品に。ゲームとしても、サントラとしても間違いなくお勧めできる作品になっています。

 


ゼノブレイド2
Counterattack(3位)
スペルビア帝国〜赤土を駆け抜けて〜(11位)

Xenoblade Chronicles 2 OST - Counterattack - YouTube
美麗な最先端グラフィックと王道ファンタジー路線で突っ走るRPG。筆者は好奇心で手をつけた一作ですが、映画を見ているかのように迫力のあるシナリオとムービーに圧倒された記憶があります。
さて、ランクインした「Counterattack」ですが、戦闘曲ではなく、イベントムービー中に流れる劇中曲。ラスボス戦のようにピンポイントな一曲ではなく、何度も流れるBGMがベスト3にランクインするのは珍しいかもしれません。
そんな「Counterattack」、各章の戦闘がクライマックスになった時流れる曲なんですが、恐ろしいほど心が引き込まれる。
導入の切ないピアノ……敗北の危機に瀕する絶望的状況から、サビでワッと盛り上がるストリングスが流れ……一転して覚醒するシーンへ──と、ここぞってタイミングで上手く差し込まれるので、「Counterattack」が流れた途端、自然と画面にかじりついてる自分がいる程、シナリオの熱さを後押ししていた一曲なのは間違いないです。
ゲーム自体もRPGとして純粋に良作だったのですが、シナリオを思い出す時、真っ先にこの曲が浮かぶほど強烈なインパクトを残していったので、物語とBGMの科学反応を痛感した曲とも言えます。他作品のラスボス曲等を押しのけ3位という順位にも納得です。
ちなみに、9月にはゼノブレイド2の外伝作品「黄金の国イーラ」が発売予定。本編を楽しんだひとは勿論、外伝から入っても問題ない作りになっていると思うので、この機会にいかがでしょうか。値段も4000円とお買い得。


・リディー &スールのアトリエ
向日葵〜その3〜(10位)
向日葵〜その1〜(21位)
紫陽花〜その3〜(22位)

Atelier Lydie & Suelle OST - 紫陽花 ~その3~ - YouTube
ゲーム音楽界隈をかじってるならおなじみ、ガストのアトリエシリーズです。アトリエシリーズ集大成と銘打っている本作は、トラック数もシナリオ量も最大ボリュームなのが特長。リディーとスールや仲間たちのドタバタ劇から、家族愛をテーマとした父母と娘を巡る温かな本編まで、 味わい深い話になっています。

また、UI周りがかなり快適で、筆者はプレイ時間こそ100時間近くいきましたが、ストーリーのイベントを一つ一つこなし続けた結果こうなった、という印象。調合してるだけで楽しい。

音楽についてですが、音色の豊かさ、聴きやすさが特長。

ジャズ、クラシック、民族音楽、ロックなものまで、使われる楽器やジャンルは多種多様。けれど、どれもがするりと耳に残る、気軽に口ずさめるような親しみ易いフレーズを残していくのがガストの音楽だと思います。気分は上がるけど、刺激が強いというわけではなく繰り返し聴ける。そんな曲がもりもり詰まっていて、作業用にも適したサントラとして強く推せます。個人的には1番オススメ。

いやホント、アトリエシリーズの戦闘曲とアトリエ内BGMは是非聴いてみてください……ハズレ無いんで……

 

ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド

魔獣ガノン戦(13位)

『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド オリジナルサウンドトラック』収録曲紹介オリジナルムービー - YouTube

従来のシリーズとは一変した、サバイバルでフリーダムなゼルダ。全部のダンジョンをゆったりと巡ってもいいし、すぐガノン戦に直行も出来るオープンワールドなシステムから、発売直後から話題になったゲーム。

本作の音楽の重要な点は、「この曲がすごい!」というより、「限りなく自然なBGM」というところでしょうか。

スパッと説明するのは難しいので、こちらの記事を見てもらうのが1番早いと思います。

https://note.mu/geekdrums/n/naeac6465b1a5

勿論サントラも買って損はないクオリティなのですが、リアルタイム感を演出するために様々な工夫がゲームのシステムに組み込まれているため、ゼルダの世界をプレイしている時のみ生まれる独特の臨場感が、他のゲームには無い面白い点です。

 

ドラゴンクエスト11過ぎ去りし時を求めて

愛のこもれび(9位)

ひるまぬ勇気(24位)

ドラクエ11 BGM 通常戦闘曲「完全版」 - YouTube

長くの時を経て発売された、ドラクエナンバリング最新作。

過去作(主にロトシリーズ)との繋がりがとても強く、クリア後の世界については、シリーズファンを徹底的に落としにかかる演出の連続から、ドラクエシリーズの集大成と言っても過言ではないでしょう。クリア後までが本編だぞ!
  

ドラクエ11のBGMに関しては、「オーケストラ音楽による原点回帰」という印象でした。ドラクエ初期を想起させるようなフレーズと迫力あるオーケストラが混ざり合い、どこか懐かしさを感じながらプレイしてた記憶があります。音質目的でPS4版を購入したなんて話もちらほら見かけますが、それも納得のクオリティ。

また、ドラクエ11を構成するファクターとして、過去作のBGMがあちこちで挿入される点も大きい点。新曲、過去作の曲一つ一つから色んな思いを想起させられ、「演出」の機能を最大限に発揮しているのが、今作の全体的イメージです。

 

 

・まとめ

 

上位層で、かつ有名だった作品を主にピックアップしていったのですが、いかがだったでしょうか。

この2017年ランキング、紹介文で頻出した単語から分かる通り、シリーズ集大成と呼べるような作品が非常に集まった年となっています。紹介してないものでは、ポケモンUSUMもそれに近いテイスト。

渾身の一曲と呼べるようなものがベスト30付近までひしめき合い、激戦とも豊作とも呼べる年となりました。どれも一見の価値ありな曲ばかりなので、調べて聴いてみたり、サントラ、iTunes等から購入してみてはどうでしょうか。

 

余談ですが、暫くしたら、総合分野の第12回ランキング、2018年ランキングも開催されます。その時、是非あなただけの名曲を投票してみてください。それがまた誰かの新たな曲の発見に、ゲーム業界の発展に繋がるはずです。

雑記 一年を振り返る

今回は私事を延々と振り返るただの雑記です。

 

あまり一年を振り返る、なんてことはすることがなかったのですが、去年のこの時期から、本当に色々なことがありました。

例えば卒論。成り行き上、文学がテーマの論文を書くこととなり、大学最後の夏休みを見事に学校の図書館に籠るだけの夏休みとして過ごしました。書いては提出、返ってきた赤線を修正。不足してた表現と論述を直して、また提出。そのラリーを卒論期限ギリギリまで延々とやっていましたが、今思い返すと、割と楽しかったように思えます。

ゼミの教授は大学一年からお世話になり、進路から一人暮らしの方針について、色々と話に乗ってくれた恩師です。卒論を終えた時、「卒業しても小説とか何か書いてみたいですねーワハハ」と、(言うても無理みたいなリアクションされるやろ……)みたいな軽い気持ちでポロっとこぼしたら、

「いや同人活動してもいいんじゃない?  文章好きだし上手いんだから」

と県内の文学コミュニティを紹介された時は、一瞬頭が真っ白になりました。本当に大学時代の恩師です。

 

他にも、インターネット周りにも変化がありました。1年前はツイッターもほぼ壁に話しかけるだけのコミュ症アカウントだったのですが、切っ掛けが色々と重なり、少しずつですが交流が生まれました。その交流を通して新たなコンテンツに手を伸ばしたり、またこうしてブログなり文字を書いてみようと思ったり、リアルの方でもほんの少し外交的になってきたり、自身の行動に大分変化があったと思ってます。リプライ一つ送るのに心臓バクバクだった頃が懐かしいですね。いや今も緊張しまくりですけど。

 

最後に、就活。年中心身がボロカスな上、卒論と資格勉強に明け暮れて亀のようなペースで活動した記憶しかないのですが、「無理のない体調の持ち直し方」「人見知りな中他人と話をする」といったことに常に向き合う必要があったため、今では比較的マシな身体と精神衛生を維持できてます。筋トレは偉大。人間コワクナイ。

 

そんなわけで、大学とか卒業とか就活とか、大きな人生の転機であったのもあるけれど、一言では収まらない多くの刺激を受けて、1年前よりも色々と自分の中で変わったんじゃないかなーと思い、振り返った日記でした。インターネットの隅で細々と文字を書くだけの人間ですが、お付き合い頂ける方は今後とも宜しくお願いします。

 

 

※余談

タイトルに一年を振り返る、とありますが、なぜこのタイミングで一年かと言われれば、答えは単純。

今日が私の誕生日だからです。

いやこれまで誕生日が〜とかアピールしてこなかったし、よりにもよって今回は夏コミと誕生日被っているので、私がどうこうというより、多くの人には是非無事に猛暑と台風を乗り越えて欲しいという思いの方が強いのですけどね。自分もいつか行きたい。

幼女になりたいと思った話

幼女になりたい。

ふと思ったのが、桜が散り始めた4月の中頃、公園の隅にちょこんと立っている、小学生くらいの女の子を見たときである。1年ほど前の話だ。

こういう書き出しにすると不純な動機を想像するかもしれないが、そんな事は決して無い。──いや、同年代の女の子たちが公園でワイワイとサッカーとしている中、あの子は無関心を貫いている。その光景は百合厨的にエモいと思っていたが。

それはさておき。

女の子は桜の木の前に立ち、黙々とスケッチブックに鉛筆を走らせていた。すぐ近くで行われているサッカーを意にも介さず、あの子かわいい~と言いながら通り過ぎていく女子大生の声も耳に届かず。

ただ熱心に桜の木を観察し、線を描くすることに集中している。

その姿が眩しかった。かつての自分は、あの子のように、友達付き合いすらかなぐり捨てて熱中できるものがあっただろうか。なんておぼろげな記憶を巡らせながら、スーツ姿の疲れ切った自分を省みたのだった。


幼女に──子どもになりたい、と言ったが、厳密に言うと、「子どものような目線を取り戻りたい」のである。物事をシンプルに捉えていた、純粋無垢だった頃の視点を取り戻したいのだ。

例えばの話だ。自分も同じように桜の木の前に立ったとする。1分間、ぼうっとだ。

そうした時、読者の方々はどんなことが頭に浮かぶだろうか。


桜が散りゆく、季節の流れだろうか。

段々と気温が温かくなってきた実感だろうか。

新年度を迎えた、社会の新しい風だろうか。


自分の場合は、「そんなことより帰って資格の勉強しろよ」である。多分疲れている。寧ろその木の下で一息ついた方がいい。

花より団子、とはよく言ったものだが、人の視界は自分の課題、目的以外見えないようになってくる。昔流行った脳内メーカーのように、脳のリソースの大半は目の前のものとは別の何かに割かれている。雑念、と言い換えてもいいかもしれない。無論、大人になっても目の前の事象をシンプルに受け取ったり、一つの物事に熱心に取り組む人はいる。その人はきっと、脳のリソースに──自分に余裕のある人だ。しかし20数年生きてくると、余裕のある人間として出来上がるのはまこと難しいと思い知らされる。明日のタスクやら責任感やら、逃げても逃げても付きまとうことは沢山ある。これからも増えていくことだろう。

そんな、脳髄まで俗世に染まってない頃の真っ直ぐな目線を、あの4月の少女に見たのだ。世間体も、社会的責任も考えず、ただ目の前の好きなものを一心に追い求めた目を。そして、自分の目に映る世界は、10年前より複雑になっていると思い知らされたのだ。

実際のところ、「子どものような目」を取り戻すことは難しい。大事なことも余計なことも知ったからこそ大人であり、その情報を土台にして生きているからこそ大人なのだ。偉くもなく、惨めでもない、ただ、自然と成り行く現象だ。結局のところ、複雑化した現実になんとか折り合いをつけて、死ぬまで付き合っていくしかないらしい。

だから、自分に出来ることなんて、せいぜい祈るばかりだ。桜の木の前に立ち、一心不乱に鉛筆を走らせていた少女が、その真っ直ぐな感性を保ったまま、健やかに育つことを。この先、何枚も描き上がるであろうスケッチが、大人になった時の財産となっていることを。

そう願った、とある春の一日だった。